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コラム

田田田堂の新しいパートナー生産者さんを訪ねて加東市へ〈前篇〉

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加東市山国で有機米づくりに励む出井さんと藤本さん

お米農家さんと向き合いながら、これからのものづくりを考える田田田堂に、新たなパートナー生産者さんが加わりました。山田錦の産地・兵庫県加東市にて、有機農法に取り組んでいる4人の農家さんたちです。いくつになっても学び、挑み続けるその姿勢は、60代70代であっても若々しく、まさに「永遠の少年」。そんなグループを代表して、メンバーの出井利之さんと藤本一信さんにお話を伺いました。

最高品質の山田錦が生まれる土地、加東市にて

神戸御影の「田田田堂」から車を走らせること約1時間。今回の目的地、加東市山国にたどり着きます。加東市は、山田錦発祥の地である兵庫県多可町と同じ「北播磨地域」に位置する産地のひとつ。市内の多くが山田錦産地で最上とされる「特A地区」に格付けされ、高品質な山田錦をたくさん産出しています。全国の酒造から、加東市の山田錦が指名買いされているのはそのため。

そんな恵まれた環境が広がる加東市山国にて、山田錦の有機栽培に取り組まれている4人の農家さんが、新たに田田田堂のお仲間になってくださいました。

ちなみに、こちらのグループでは、自分たちで育てた有機山田錦だけで日本酒をつくるという夢のチャレンジを続けています。お酒の名前は「せんどぶり(“久しぶり”という挨拶に使われる方言)」。古くから「村米制度」のお付き合いがある長野県の酒造会社に委託している醸造も、2023年には5回目を数えるまでになりました。

生産者さん4人の名前が記された「せんどぶり」のボトル。熟した果実のような香りと芳醇なうまみ、上品なキレが印象的な極上の日本酒です。来年は田田田堂の店舗でも販売できるようにしたいと構想中!

毎年、秋に刈り取りを終えて脱穀した山田錦は、ふるいにかけられ、一定サイズ以上の粒だけが酒造用に出荷されます。そこで残った規格外の米をさらにふるいにかけ、くず米を落としたものが「中米」。田田田堂ではこの中米を買い取り、米粉に製粉しています。

虫や植物が大好きな「出井先生」が25年前に決心したこと

4人のうち、もっとも早くから有機栽培に取り組んできたのが出井さん。代々受け継いだ田んぼで、76歳になった今も、山田錦のほか、家族や身近な人に食べてもらうためのうるち米を育てています。今から約25年前、虫や雑草を駆除する農薬を散布することに負い目を感じるようになった出井さんは、ひとつの決心をして、一部の田んぼから実践を始めました。

出井さん
「一緒に作業してる嫁さんの体も心配やったし、昔から植物も虫も大好きやったから、農薬をまくのがストレスで……。まずは家族や知り合いに食べてもらうコシヒカリの田んぼから、除草剤を使うのをやめてみました。そこから12年ほどかけて完全に農薬も化学肥料も使わない農法へ移行したんです。」

実は出井さん、63歳までは県立の特別支援学校で教員として働きながら、兼業農家を続けていました。農薬をやめてからというもの、雑草の生育が旺盛になる6月中旬から7月中旬までは、出勤前に田んぼの草引きをするのが日課になっていたとか。

出井さん
「毎朝5時頃から7時頃までやるんやけど、やってもやってもまた草が生えてくるから終わりがない。でも不思議と苦痛じゃないんですよ。無心になって集中できるっちゅうかね。それに草引いてると、水の中で生きものが動いたりするのも感じられるでしょ。お前らも一生懸命生きとるんやなあ、って思えて楽しくてね。」

「農薬を使わないなんて時代遅れ」そんな声も浴びたけれど

まるで小さな鳥や虫と同じように、田んぼという自然の一部になる喜びを味わっていた出井さん。しかしそんな出井さんに対して、周囲の目は冷ややかだったとか。

出井さん
「大変だったですねえ。いろんな人に”そんなみっともないことするな”って言われて。その頃は、田んぼに入って手で草引きしてるなんて時代遅れやという思いがあったと思うんです。もし親父が生きてたら多分許さなかったんじゃないですかね。」

そんな周囲の批判も笑って受け流して、自分の信じる道を貫いた出井さんですが、今から13年ほど前の夏のある日、驚くような光景を目にすることになります。それは周囲の農家さんたちがヘリコプターを使った農薬散布を行った翌日。朝、坂の上から見下ろすと、出井さんの田んぼの上空を何千匹というトンボが舞っていたのです。

出井さん
「うちの田んぼの上だけ、大量のトンボの羽で白く霞がかかったようで、稲が見えないぐらいでした。農薬から逃れてきた虫を、トンボが食べてたんでしょうね。これだけのトンボがどこにいたんだって思うような数でした。奇跡やと思いましたね。」

害虫も益虫も共存する土壌こそ、本来の姿

実際、農薬も化学肥料も使わなくなってからというもの、出井さんの田んぼにはメダカやカエル、クモなど多様な生きものが生息するようになり、害虫が悪さをするのを抑えてくれるようになりました (「何が害虫かなんて、ほんまはわからんと思てますけどね」とひと言添えるのがまた、出井さんらしいところです)。

本来の生態系を取り戻した出井さんの田んぼは、お米農家さんがもっとも恐れるウンカの被害に、これまで一度も遭っていないのだとか。「なにごとも、バランスですね」という出井さんの言葉には、25年分の説得力があります。今は有機栽培仲間を増やそうと、折に触れて周囲の農家さんに声をかけているところだそう。

出井さん
「有機に興味を持ってる人はいるけども、増えるところまではなかなか……。でも有機は面白い農業やと思うけどなあ。76歳にもなって田んぼの中を歩き回ってるなんて、って思われるかもしれんけど、やっぱり楽しいから続いてるんやと思いますよ。毎年が実験というか、試験を受けてるようなもんでね、うまく行くと思っていても失敗することもある。でもそれが生きがいになってるんですよ。」

後篇では、そんな出井さんに誘われて、ここ8年ほど有機栽培にチャレンジし続けている藤本さんのストーリーをお届けします。どうぞお楽しみに。

【田田田堂からのご報告】
取材後約1ヶ月経って、収穫と籾摺りを終えた出井さんから「今年は正粒がよくできて中米があまり出ませんでした」とのご連絡をいただき、出井さんの山田錦中米の仕入れは断念することになりました。2023年産米は、記事中でご紹介したグループのうち藤本さんとの取引のみとなりましたが、今後も田田田堂は、お米の可能性拡大のため農家さんたちとの情報交換を続けてまいります。

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この記事を書いた人

松本 幸

松本 幸

神戸育ち大阪在住のフリーランスライター。著書に、2002-2006年のパリ在住経験から企画編集執筆した「パリ発キッチン物語おしゃべりな台所」がある。江戸落語と文楽が好き。

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